「真魚(まお)」―未完成の天才が、世界の理を書き換えるまで
なぜ、私は「真魚」と名乗るのか。
その答えは、今から千二百年以上前、讃岐の海岸で海を見つめていた一人の少年の姿にあります。
のちの空海、幼名を「真魚」と呼ばれた彼は、単なる神童ではありませんでした。
彼は、既存の学問やシステムに飽き足らず、人間の苦しみの根源を解き明かすために、文字通り命を懸けて「真理」を追い求めた「究極の探求者」でした。
空海が唐へ渡り、師である恵果和尚から密教のすべてを伝授された際、師はこう言いました。
「法は速やかに東の国へ伝えるべし」と。
空海が日本に持ち帰った密教の本質は、現代の最先端脳科学がようやく辿り着こうとしている「観測者が世界を創る」という量子論的な視点や、お釈迦様が説いた「縁起」の理と驚くほどシンクロしています。
私が「真魚」という名を選んだ理由は、三つあります。
第一に「初心」という名の無限の可能性です。
「真魚」は空海がまだ何者でもなかった頃の名です。
しかし、その内側にはすでに宇宙の全容を捉える種子が宿っていました。
私は、すべての女性の中に「未開花の天才」が眠っていると信じています。自己実現の第一歩は、自分という存在が無限の可能性を持つ「真魚」であることを思い出すことから始まります。
第二に、「空海というブリッジ(架け橋)」としての在り方です。 空海は、海を越え、言葉を越え、異国の知恵を日本人の精神に適合する形でトランスレートしました。
私もまた、深淵な仏教の真理や脳科学のロジックを探求し続け、現代の女性たちが日常で使いこなせる「成功のメソッド」へと翻訳し、彼女たちが自らの人生をデザインするための架け橋になりたいと願っています。
第三に、「自他実現」の精神です。 空海が四国のお遍路を拓き、満濃池の改修という社会事業で人々を救ったように、真の成功とは自分一人の満足では完結しません。自分が輝くことで周囲をも照らし出す「自他一如」の境地こそが、密教が説く「即身成仏」の本質です。
